みずからの手で繭から糸を!輸入に頼らず国産絹を生産し、養蚕技術を受け継ぐ

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原田雅代(はらだ・まさよ)/養蚕家・絹織物作家

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1969年 東京深川に生まれる。在米中に日本の絹と出会い、ニューヨークファッション工科大学にて織物を学び始める。2007年に帰国し、シルク博物館染織講座第十一期受講生となる。2013年 兵庫県丹波市春日町の養蚕農家、柿原啓志氏と出会い弟子入り。2015年 自身の工房である染織工房こおり舎を立ち上げ。日本の伝統である養蚕・絹織物の文化を後世へと残すため、製作と教育に心血を注いでいる。


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「古来より絶えることなく受け継がれてきた伝統技術を次の世代に教え、つないでいきたい」
それが私の目標であり、養蚕を始めた理由でもあります。

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自分が一番魅了された「絹」という素材にとことん向き合い、織り上げた作品を通じて多くの方々に絹の魅力を伝えながら、若い方々へ技術指導していく。そんな志を持って、染織工房こおり舎を立ち上げました。
また、イベントなどへも積極的に参加をしています。

 

 

人生を変えた絹と出会い日本へ帰国 織姫修業が始まる

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私が絹と出会ったのは30代になってからです。当時はアメリカ・ニューヨークに住まいがあり、旅行会社で勤務していましたが、日本から糸や布などの繊維製品を輸入して販売する会社に転職したのが、人生のターニングポイントだったのかもしれません。

その会社で絹に触れ、絹の細く薄い糸で織られた、あの繊細な感じにすっかり魅了されてしまいました。なんというか…見て美しく、まとって心地よく、私はとっても大好きな素材です。

機織りをする人なら、皆さん自分が好きな素材がそれぞれあると思うのですが、私だったら迷わず絹と答えますね。

そうして織物の勉強をしてみたいと思い、日中は会社で勤務して、夜間は織物の勉強のために、ニューヨークファッション工科大学に通い始めました。大学で学んだのは、生地の成り立ちやテキスタイルデザインといった基本的なこと。例えば経糸(たていと) と緯糸(よこいと)の組み合わせでどんな模様ができるのかを、実際にサンプルを作りながら基礎的な技術を覚えていきました。

 

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そして2007年に日本へ帰国。
もっと本格的に織物の技術を学びたかったので、愛媛県西予市(せいよし) 野村町にあるシルク博物館にて染織講座を受講することを決めました。

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この講座を選んだ理由は、製作の過程の珍しさにあります。通常、染織に使用する糸は購入するものですが、ここは日本でも珍しく、繭から糸をつくる過程から教えてくれるのです。私はもともと素材を扱う仕事をしていましたから、繭から糸をつくることからしてみたいという気持ちが強く、受講するならこの講座しかないという気持ちでした。

受講生は「織姫」という名称で呼ばれ、2年間の織姫修業が開始。
博物館の周りには遊ぶようなところもありませんので、この2年間は染織 のことだけを考えて生活するという、内容の濃い貴重な時間を過ごしました。

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そしてある指導員の方との、思い出深い出会いがありました。私は第11期生として入ったのですが、たまたま指導員として来られるはずの方が交通事故に合ってしまい、第1期生の方に3カ月の間講師を務めていただいたのです。

3カ月の間 、独立して一人の作家としてやっていくために気を付けるべきことや自分の立ち位置など、今の私の創作活動の根底を成すような、大切な教えをたくさんいただきました。

特に「何もかも一人で最初から最後まで 終わらせる習慣をつけなさい」と言われたことは印象的でした。染織作業はなにかと手間がかかるもので、ついつい周りに人がいると頼りがちになってしまいます。修業中はいつも近くに同期がいるのでよいのですが、独立して一人で製作をするようになれば、そういうわけにもいきません。だから最初から効率よく作業できるように、しっかりと頭で考えて行動しなさいと。

その教えがあったから、今でも大抵のことは一人でやってしまいますし、機織り機だって他の人の力を借りることなく組み立ててしまいます。

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また「なぜこのような作業が必要か?」という疑問を問いかけると、丁寧に説明していただけるのですが、必ず「疑問に思ったことは自分でやってみてください」と言われました。自分で実践して、その結果を体験から知るということが大事ということなのでしょう。

非常に厳しかったですが、私は最終的に教えることをしたいと思って始めていましたので、指導していく点での重要なことも教えてくださいました。

このように、織姫修業は織物作家としての軸を養った期間です。

 

 

国産繭の減少を憂い、養蚕農家への弟子入りを志願

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織姫修業を終えた私は東京に戻り創作活動をしていたのですが、そのころに一つ気がかりなことがありました。それは材料である繭が年々手に入らなくなるということ。

正確にいうと国産の繭。日本の養蚕農家の廃業スピードが急激に加速していたのです。その背景には養蚕農家に対する補助金の廃止があり、全国各地で 県内の農家がいっぺんに養蚕業をやめるということが起きていました。

現在日本で流通している絹は、中国やブラジル、インドから輸入しているものがほとんどで、国産のものは0.1%以下でしかありません。それも昔は繭だけを輸入していたのですが、近年では現地で糸に加工するところまでを行っています。

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2009年に群馬県の蚕糸(さんし)技術センター主催の絹へのふれあい体験講座に参加しました。そこは蚕の試験場のような場所で、蚕の品種改良や餌となる桑の研究を行っている機関です。

体験講座は卵をかえすところから、繭をとるまでの1か月ほどかけて養蚕の基礎と実際を学びます。初めての体験ばかりでものすごく勉強になりました。

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そして2013年、兵庫県唯一の養蚕農家、柿原啓志(かきはらひろし)さんの下に弟子入りすることになります。といっても最初は弟子入りのお願いは断られてしまいました。柿原さんは当時70歳を超えておられましたし、研修として私を受け入れるのは体力的にも難しいという事情がありました。

そこで私は以下のような内容のお手紙を柿原さんにお渡ししたのです。
「私は繭から自分で糸をとることに重点を置いて製作をしており、自分の使う繭を自分で作ってみたいという気持ちがあります。将来的には養蚕で繭をとるところから製作をしつつ、生徒を取って教える工房をこの地で作りたい」

すると「それだったら一度来てみたら」という言葉をいただき、柿原さんの家へ訪問することに。話をしていく中で、ある程度私が勉強をしていて、私がどのように養蚕をしていきたいのかをご理解いただいたようで「たいしたことはできないけど、見に来るなら来てもいいよ」と言っていただいたのです。

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2013年は夏と晩秋の2回の飼育をお手伝いさせていただきながら勉強。2014年は「そろそろ自分の蚕を飼ってみるかい?」と言っていただき、飼育場を半分貸してもらって、実際に自分で育ててみることを体験しました。

こうして養蚕から機織りまでの技術を習得し、自分が培った伝統技術を人に教え伝えられる準備を整えていきました。

 

 

築百二十年の棚原本上田邸で、念願の工房立ち上げへ

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2015年11月には、念願だった私の工房を開設。
場所は兵庫県丹波市にある、築百二十年の棚原本上田邸 。養蚕農家での修業の様子が地元新聞に掲載されたのがきっかけで、本上田邸を所有する上田正三さんに本上田邸再生プランのお話をいただきました。

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上田さん自身は神戸と棚原の2拠点暮らしをされていますが、私のような伝統産業の継承と発展のために活動している人に活躍の場として提供したいという思いがあり、私が管理人兼住人として移り住み、染織工房こおり舎を立ち上げる運びとなったのです。

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そして来年の蚕の飼育計画も立てているところです。いつもは蚕を1回の収穫で1万2,000頭飼い、20キロあまりの繭を収穫しています。全てを一人でこなしていますので、自分ができるギリギリの量を見極めながら、工房開設後のプランを練っているところです。
※蚕は匹ではなく頭と数えます

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また工房開設に合わせて、丹波市内在住の手仕事作家が集まり、第1回丹波の手仕事展×本上田邸を開催。延べ1,000人以上のお客様にご来場をいただきました。

 

 

絹の魅力を伝えるため、これからは教える立場に

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私の織る絹の魅力は、なんといっても糸から自分で作る織物の風合いではないでしょうか。実際に見て触って着ていただかないと、本質的な部分を理解していただくのは難しいと思いますが、軽くて身にまとうと空気を着ているような感覚になれると思います。

絹は繊維の王様と呼ばれることもありますが、工業的に作られた糸と手作業でひいた糸で織られた ものでは、品質が全然違います。実際に手でひいた糸で織られた着物に触れると、今までの着物への意識が根本的に覆させられるほどで、素材から手掛けることによって生まれる着物の風合いに勝るものは無いのです。

だから今後は私の工房で、絹に触れられるような場を提供していきたい。そして実際に学びたいという人がいれば、自身の工房の生徒として、繭から糸をつくる「座繰り」や染色、機織りの技術を、教え伝えていくつもりです。

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また若い人にも興味を持ってもらいたいので、ワークショップのような体験型のイベントも積極的に開催していきます。座繰りや染色の体験は人気がありますので、小学校での体験講座や、親子そろっての体験の受け入れも考えています。

養蚕については技術習得までの期間も長いですし、常に一緒にいて様子を見ていなければなりませんので、なかなか教えるのは難しいですが、自分が教えてもらった体験講座のようなものから始めていきたいですね。

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日本の養蚕業は風前のともしびの状態ですので、すぐにでも行動に移さなければなりません。今回サポートしていただく費用は、蚕の餌となる桑の木を育てる資金にも使わせていただきます。

繊維製品は他の工芸に比べて寿命が短く、博物館で保管していても百年経てばだいぶ劣化が進みます。そのため古い良いものを見る機会は少なく、残ったものから何かを伝えていくことが難しい。だからしっかりと人の手によって、平安時代からずっと続いている技術を自分が引き継いでいく必要があるのです。

日本の伝統である養蚕・絹織物の文化を後世へと残すため、製作と教育に心血を注ぐ決意で、これからもこの道を進んでいきます。